




シーサーは古代オリエントに起源 を持つといわれ、獅子は、ライオン)が原型とされています。
紀元前6000年頃、エジプトやイ ンドでは強さの象徴としてライオ ンの石像が創られていました。そ れがシルクロードを横断し、13〜 15世紀頃に中国から沖縄へ伝わっ たのです。
当時、アジアにライオンはいませ んでした。そこで人々は噂に聞く その姿を想像し、独自の解釈を加 えながらライオン像を創っていき ました。長い長い時の流れの中で 獅子像の外見は変化をくり返し、 現在のシーサーとなったのです。
シーサーから、遥かシルクロード や古代オリエントに思いを馳せる ことが出来るなんてとても素敵だ とは思いませんか?
シーサーの正体は、那覇空港のホールや国際通りの入 り口、民家の屋根や門柱に置かれ ている奇妙な顔をした獣像、それ がシーサーです。
シーサーとは中国からわたってき た魔よけの獅子は、ライオンで、 当初は、城門・寺社・王陵・集落 の入り口などに置かれていました 。19世紀末、民家にも赤瓦の使用 が許されると、屋根に獅子を据え て魔よけとする風習が一般に広ま っていきました。
屋根獅子には、焼物製と漆喰製が あり、漆喰シーサーの方は一見恐 ろしげだがよく見るとユーモラス な顔をしているモノもあります。 漆喰シーサーは屋根職人が瓦を葺 き、余った漆喰で「除災招福」を 願って「おまけ」として創った事 から始まりです。
あちらこちらから睨みをきかせて いるシーサーは今や観光沖縄のシ ンボルとなりました。ガイドブッ クには赤瓦に鎮座した姿が紹介さ れ、おみやげ品店では主役を張ってゆずらない存在です。
実際、シーサーと遭遇しない日は なく、獅子文化がこれほどまでに 定着した地域は世界広しといえども、ここ沖縄だけではないでしょうか?
スフィンクスとは親戚なのかもという説もあり、古代オリエントやアフリカのライオンがシルクロードを渡り、日本や沖縄に伝わってきました。
途中で、想像が加わり、いろんなバリエーションの獅子達が登場しました。
そのバリエーションのひとつが沖縄の誇るべき「シーサー」なのでしょう。こう考えると、もしかし たらエジプトのスフィンクスもそ のひとつかもしれませんね。
エジプトのスフィンクスやシンガ ポールのマーライオン、ルーツは 同じ古代オリエント。シーサーの 兄弟は世界中にいるのです。
狛犬とも親戚なのかも、知れないという説もあり、『本土』にもシーサーと良く似た
そう、狛犬
獅子が居ますよね。
そう、唐獅子です。狛犬は朝鮮半島か ら、唐獅子は中国から伝わったそ うですが、ルーツはやはり古代オリエントなのです。
古代オリエントの人々は獅子の姿になにか特別な力があ ると感じとり、それをデザインし、造形したそうです。
それが、巡り巡って東洋の果てまでたどり着いたのです。
しかし、その頃には実物のライオ ンを見ることが出来ない者による 想像などが加わってライオンとは かけ離れた姿になっていったのでしょうね。
シーサーのオスとメスはあり、屋根の上や門柱に一対で置かれていることが多く、金剛力 士像などのように阿吽の一対になっているといわれてい ます。『阿』がオス、『吽』がメスです。左右の位置につい ては、例外はあるものの左側が阿、右側が吽になっています。
阿吽とはサンスクリット語の始ま りと終わりを表す音。そこから物 事の始まりと終わり、つまり世界 のあらゆる事を表すと考えられ、 神を象徴するとされました。
つまり、シーサーはその体で世界 全てを表し、雌雄一対という完璧 な姿で災いから人々を守ってくれているというわけです。
また、『THE シーサー伝説!』の
話に触れると、シーサーの由来で有名な話のひとつに沖縄本島南部・八重瀬町東風平富盛の「シーサー」の話があります 。
それによると、富盛集落では、
びたび起こる火事に悩まされてい ました。そこで、久米村の風水師 「蔡応瑞」の風水によって石造り のシーサーを創り、火難の元凶で ある八重瀬岳に向け安置したとこ ろ、火難から逃れることが出来た というのです。
それ以来、シーサーは魔除けとしての力を持つことが他の集落にも、さらには、島々へと広まって伝播し、いったそうです。
ですから、路傍のシーサーは、沖 縄本島南部に数多く見られます。 そして、それがいつの間にか、家 々の守り神となって、屋根の上の シーサーとなり、さらに門柱のシ ーサーとなっていったようです
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